36 Profile─いたぐち よしひろ 2013年,早稲田大学文学研究科にて博士 (文学)取得。早稲田大学心理学コース助 手,AMED研究員,日本学術振興会特別研 究員PDなどを経て2018年より現職。2021 年4月から慶應義塾大学文学部。専門は 認知神経心理学,実験心理学,計算論的運 動制御。著書に講談社から『心理学入門』 (共編著),『心理学レポート・論文の書き 方』『心理学統計入門』(ともに共著)など。 この人をたずねて ■板口先生へのインタビュー ─板口先生がこれまで取り組ま れてきたご研究について教えてく ださい。 心理学を背景に持っているの ですが,運動が一つの大きなテー マです。昔からしている仕事は, 「何かものをつかむとき,頭の中 でどういう計算をしているか」で すね。最近だとVR機器を使った り,力場を使って環境を変えたと きに運動がどう変わるか,適応し ていくかを見ています。最終的に は患者さんのリハビリに用いるこ とを目標にしています。 ほかにも言語に関する研究も 行っています。静岡大学の情報学 部に移ったこともあり,自然言語 処理や機械学習を使って,認知症 や失語症の患者さんの発話からそ の人たちの意味構造も拾えないか と研究しています。 ─把持運動やその軌跡の解析に ついての研究も多くやってらっ しゃいますね。 2014年ごろから手でものをつ かむ動作と,道具でものをつかむ 動作の研究を行っています。欧米 では,身体と道具は根本的に異な るものであるという考え方が主流 で,道具の使用と手の使用に関わ る計算も異なるものとされていま した。一方で私は,脳にとっては 身体も“道具”であると捉えてお り,道具使用と身体使用は同じも のだと仮定して研究を進めていま す。手は生まれたときからくっつ いていてずっと使っているのだか ら上手く使えるのは当たり前で す。だから,把持の運動制御には 効果器の種類ではなく熟達度が重 要だと考え到達把持運動を用いた 実験を行ったところ,身体使用で も道具使用も同様の計算が行われ ており,二者は質的に異なるとい うよりも連続的に変化する性質の ものであることが示唆されまし た。 身体や運動といえば,最近,認 知処理に対して身体および身体と かかわる環境も大きく影響すると いう身体化認知というトピックが 流行っていますが,身体と運動そ れぞれに対する理解が不十分なと ころが多いと私は考えています。 例えば腕を下から上に動かすため の運動計画だけでもすごく大変な 処理が必要です。運動計画段階に おける座標変換や運動指令の生成 と,運動開始後に得られる視覚や 体性感覚フィードバックもきちん と切り分け整理しながら研究をし てほしいなと思います。 ─空書の研究についても教えて ください。 空くう書しょは文字を思い出す際に,空 中に指で文字を書く行動のことで す。運動にかんする心理学の研究 として,比較的有名な現象だと思 います。2013年ごろ,ある大学で 心理学演習を新たにスタートさせ る際に,お金もかからず楽なので 空書の実験を組み込んではどうか と提案しました。 しかし,事前に自分で実験した ところ,どうにも効果が再現でき ず,とても困りました。交絡変数 を一つずつ検討したところ,運動 行為そのものに加えて,運動の視 覚情報が空書効果を引き起こすた めに重要であることがわかりまし た。 ─これからの研究について教え てください。 私は運動測定・制御の要素を心 理学に持ち込むことで心理学を アップデートしたいと考えていま すが,現状では知覚や認知の変化 を含めた包括的な検討はできてい ません。今後の研究では,その辺 りの問題にも取り組もうと考えて います。 また,これは具体的な話です が,VR技術を用いて身体と道具 の関係を検討する面白いプロジェ クトを進めています。通常,道具 を使用する際には,作用点の位置 が通常とは大きくずれることが特 徴的です。さらに,例えばハサミ のように,左側の刃を右側の指が 制御するといったようなメカニカ ルな座標変換も生じます。 静岡大学情報学部 助教
板口典弘
氏
インタビュー
関根 悟
37 この人をたずねて しかし,いままでの実験パラダ イムだと,作用点の場所を完全に 一致させたまま後者のタイプの座 標変換のみを引き起こすことが難 しかったんですね。VR環境を使 用することにより,位置のずれを ゼロにすることと,運動指令と仮 想身体の間に座標変換を導入する ことが両立できます。これによっ て,運動制御と知覚・認知の双方 の側面から,より直接的に身体と 道具の関係を検討していこうと考 えています。 ─研究者にとって大切なことは 何でしょうか。 人それぞれだとは思いますが, 大切なことの一つは,哲学を持つ ことじゃないかなと思います。心 理学の問題だけを考えるのではな くて,日常的な疑問や哲学者が考 えていることから大きな問題を 拾ってくることが大事です。その 大きなアイデアを,いかに自分の 研究に落とし込んでいくかが重要 だと考えます。 ─板口先生の場合は,どういう 哲学があって手も道具の一つだと 考えるようになったのですか? 人って何だろう,人の存在って 何だろうという疑問がいつも一番 にあります。そして,唯物論や二 元論,脳と身体の関係についても よく考えてます。そういうことを 考えていると,道具と身体が違う というアイデアは全然納得ができ なかったんです。脳が身体を制御 しているならば,脳にとっての身 体は道具以外の何物でもないし, 実際その制御過程で座標変換も多 く行われている。つまり,「ヒト =脳」と考えたときには,道具と 身体はさほど変わりません。道具 使用研究の文脈でそんなこと言う 人は少ないので,それを軸に研究 していこうと考えました。 もう一つ,患者さんの動きを実 際に見る機会に恵まれたことも大 きかった。脳損傷によってある種 の疾患を抱えると,ある日突然, 身体制御が不自由になります。 “動く”んだけれど,今まで通り自 由に動かすことが難しくなりま す。身体がまるで初めて使う道具 のようになってしまうんです。身 体が特別なものであるというアイ デアは,あの動きを見たら消えて しまいます。脳損傷後のリハビリ を,元の身体を取り戻すのではな くて,身体が道具に戻ってしまっ て,その新しい道具の使用法を獲 得する過程だとみなすことができ れば新たなリハビリも考えられる んじゃないかと思っています。 ─最後に,若手研究者へのメッ セージをお願いします。 経験がすごく大事だと思いま す。研究室内外でどのような経験 ができたかが重要です。一つの研 究室やフィールドに閉じこもらず に,ほかの先輩研究者や同期の優 秀な研究者から,異なる考え方を 吸収するとよいです。あと,指導 教員をあまり神聖視しすぎず,自 分で考えていってほしいですね (笑)。指導教員も一人の研究者な ので。 ■インタビュアーの自己紹介 インタビューを終えて 板口先生からお話をうかがい, 運動と心理学の関係性を教えてい ただき,その新たな切り口にとて も心惹かれました。板口先生の 「手だって脳にとっては道具の一 つである」「運動について心理学 の分野に持ち込んで考えたい」と いった信念を持って研究に取り組 む姿勢に感動しました。インタ ビューの最中でも哲学を持って研 究することが大事だとおっしゃっ ており,研究の題材の選択の仕方 がとても勉強になりました。私も 自身の研究について,もう一度整 理したいと強く考えるようになり ました。一つの哲学と情熱を持っ て研究に邁進する板口先生の姿勢 が格好良く,そこが板口先生の研 究が人を惹きつける要因ではない かと思いました。 現在の研究テーマ 私は発達障碍児,特に自閉スペ クトラム症児の運動と社会性発達 について研究しています。自閉症 児は社会スキルズの獲得が遅れて おり,運動機能の発達もまた遅れ ていると言われてきました。学生 のころから発達障碍児支援をして きた自身の経験から,社会スキル ズと同様に運動や遊びを支援する ことができるだろうと考えていま す。特に現在はモーションキャプ チャや画像解析を用いて,自閉症 児の運動をリアルタイムに定量解 析し,そのデータをもとにフィー ドバックすることでより早く運動 の学習ができるのではないかと考 え,その技術開発に取り組んでい ます。 子どもを支援して,その子ども が変わっていくことを実感できる のが自分の研究のモチベーション です。現在は子どもを対象とした 実験が止まってしまっています が,早く支援研究を再開して,い ま準備している実験を行えればと 願っています。 Profile─せきね さとる 日本学術振興会特別研究員PD(東京大学生産 技術研究所)。専門は応用行動分析学,発達心理 学。論文にModeling of the Chasing Behaviors for Developmental Program of Children with Autism Spectrum Disorders (共著, Proceeding of the 2017, IEEE)。